ユダヤ人へのビザ発給、日本政府の対応について
杉原千畝によるユダヤ人へのビザ発給は、残酷な殺戮と弾圧がヨーロッパやアジアにおいて吹き荒れた暗く悲しい時代に射した一筋の力強い光であるがゆえに、現在でも一連のビザ発給の経緯や日本政府の取った態度についてはさまざまな見解が錯綜している。
まず、既に同盟関係にあったドイツとの関係を重視し、ユダヤ人を見捨てようとした非情な外務省に対して立ち向かった千畝という構図で捉える見解である。この見解が支持されるひとつの理由として、千畝が戦後ソ連の収容所から帰国を果たした後、1947年に外務省を辞職に追い込まれていることがある。政府の公式見解としては、杉原自身による依願退職であり、1946年から外務省のみならず行政組織全体に対して行われていた「行政整理臨時職員令(昭和21年勅令第40号)」に基づく機構縮小によるリストラの一環とされたが、妻の幸子によれば、口頭で「例の件」の責任を免官の理由として告げられたという。
他方、日本政府にとって、ドイツとの関係から公然とユダヤ人を助けることは事実上不可能だったが、真意としては千畝のビザ発給に対して黙認に近い立場だったのではないか、という見解がある。主な論拠は、仮に日本政府がユダヤ人を通過させることを断固として拒否するならば、千畝のビザによる日本入国を何らかの形で阻止するのが自然であるのに対して、実際は多くのユダヤ人たちが陸路で、敦賀から神戸まで辿り着き、さらにアメリカやパレスチナなどに向かった1,000人以外はその後も日本の勢力下で終戦を迎えるまで過ごしていたという事実である(実際には、杉原ビザで日本に渡航しようとしたユダヤ人たちは、入国審査で発給条件を欠いていることを理由に入国を拒否される事件が起きて当時の新聞で報道される事態になったが、これらの難民たちは、神戸猶太協會と駐日オランダ大使館の奔走によって入国できるようになった)。更にビザ・領事特別許可証発給へも大した制止行為を行わなかった。
また、1992年3月11日の衆議院予算委員会第二分科会において渡辺美智雄外務大臣(当時)及び、兵藤長雄外務省欧亜局長(当時)は、杉原はビザ発給の件で処分されたり、退職させられたとの記録は存在しないと答弁している。また、ビザ発給後も1945年のソ連による収容所送還まで、チェコスロヴァキアの在プラハ総領事館総領事代理やドイツの在ケーニヒスベルク総領事館総領事代理、ルーマニアの在ブカレスト日本公使館一等通訳官などを歴任し、7年間に渡り外務省で勤務し続け、1944年には勲五等瑞宝章を受章していることから、杉原にとって不名誉な記録は存在しないと答弁している。これが現在まで政府の公式見解となっている。なお、退職金や年金についても不利な扱いはなかったとする人も有り(『意外な解放者』参照)、この点に関しては妻・幸子が自著において退職金を受け取っていたことについて認めていることと一致する。1991年10月には、鈴木宗男外務政務次官(当時)が幸子夫人を招き、杉原副領事の人道的かつ勇気ある判断を高く評価し、杉原副領事の行動を日本人として誇りに思っている旨、また、50年にわたって外務省と杉原副領事の家族との間で意思の疎通を欠いていたことは不幸なことであった旨を伝えた。
『ウィキペディア(Wikipedia)』引用
とても勇気ある行動でたくさんの人々を救いました。
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